お答えします 2005年6月16日木曜日 ロシアのユネスコ世界遺産(2回目)

    お答えします 2005年6月16日木曜日

    A.お題
    ロシアのユネスコ世界遺産(2回目) - セルギエフ・ポサード市のトローイツェ・セルギエヴァ・ラーヴラ、至聖三者聖セルギイ大修道院

    翻訳アナウンス:
    メロディ=

    C.本文 (原稿一部省略)



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    お答えします 2005年6月9日木曜日 ロシアのユネスコ世界遺産(1回目)

    お答えします 2005年6月9日木曜日

    A.お題
    ロシアのユネスコ世界遺産(1回目) - キジイ島の木造建築物とソロヴェツキー諸島の自然保護区

    翻訳アナウンス:真野
    メロディ=1-1

    再放送日時
    2011年8月04日21時台
    2015年4月16日21時台
    2015年4月30日21時台


    C.本文 (原稿一部省略)

    0138
    それぞれ国ごとに後世に伝えたい素晴らしい自然や文明の産物があります。
    1972年ユネスコ国連教育科学文化機関は世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約を採択し、当時これに146の国が加盟しました。
    現在ではこの条約は世界170か国を超す加盟国を得ています。
    ロシアはソビエト連邦当時の1988年にこの条約に参加してから現在はロシア連邦がそれを引き継ぐ形をとっています。

    さてこのユネスコ世界遺産条約の素晴らしい点はいったいなんでしょうか?
    それはこの条約によって世界中の人々が全人類にとって価値がある自然や文化財を保護する責任を有するということが歴史上初めて確認されたことです。
    こうしてユネスコの世界遺産には全人類にとって文化遺産、自然遺産が選ばれ、そしてその登録件数は年を追うごとに増え続けています。
    現在は788の世界遺産が登録されています。
    内訳は文化遺産が611、自然遺産が154、あとの23はその両方の価値があるということで、自然文化遺産という優れて普遍的な意義が付されています。

    ロシアは20のユネスコ登録遺産を有しています。(2015年現在23?)
    そのうちのいくつかを挙げてみますと
    まずモスクワでは中心部のクレムリン、赤の広場、
    少し南東方面のコローメンスコエ地区の主の昇天教会、
    そして南西のノヴォデヴィチ修道院の建造物群の4か所、
    更にモスクワ郊外に出ますとロシア正教ゆかりの地、巡礼の多いことで知られるセルギエフ・パサドの至聖三者聖セルギイ大修道院、
    そして黄金の輪で知られる古い歴史都市のノヴゴロド、ウラジーミルとスーズダリ、
    また北の都サンクトペテルブルグでは街の歴史的中心部といわれる地区が登録されています。
    ここではおなじみのエルミタージュ美術館やホテル・アストリア、イサク寺院、カザン教会、海軍省の建物などが含まれています。
    そして北ロシアではキジイ島の建築アンサンブル、ソロヴェツキー諸島の歴史文化遺産、またヴォルガ河畔ではカザン市の城塞であるクレムリンなどが挙げられます。
    一方自然遺産としての登録を受けたのは例えばバイカル湖、コミ共和国の原生林、カムチャッカ半島の火山、東シベリア海に浮かぶウランゲル島保護区などです。

    おそらく本筋から言えば中心であるモスクワの一番有名なクレムリンや赤の広場あたりからお話をするのが普通でしょうが、この2つはすでによく知られていますし、わたし達の放送でも何度も取り上げている場所です。
    ですからこの番組「お答えします」ではわたしたちは今挙げた以外の登録遺産を取り上げることにしました。
    先に申しあげました通り、ロシアの世界遺産は20か所以上に及びますので1回の放送では充分にお伝えすることができません。
    ということで今回、皆さまと一緒に見学するのはキジイ島の建築アンサンブルとソロヴェツキー諸島の歴史文化遺産です。
    それでは参りましょう。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/ロシアの世界遺産

    http://ja.wikipedia.org/wiki/キジ島

    0554
    1990年、キジイ島の建築アンサンブルはユネスコの世界遺産に登録されました。
    そのキジイ島とはいったいどこにあるのでしょうか?
    キジイ島があるのは北ロシア・カレリア共和国です。
    カレリア一の大きな湖、オネガ湖の北の端に浮かぶ島、これがキジイ島です。
    キジイ島には他に例を見ない古い木造アンサンブルがあり、それが良好な保存状態で今日まで残されています。
    1960年にキジイ島は国の自然保護区に指定されました。
    この自然保護区は野外建築民俗学博物館というカテゴリーでロシアつまり当時のソビエトが指定した自然保護区としては初期のものです。

    キジイ島はカレリア共和国の中心地から68キロの地点にあります。
    この地方は広大な土地に湖や沼が点在したくさんの川が流れ、鬱蒼として森におおわれた自然の宝庫として有名です。
    またオネガ湖は昔から人々に神様が天からしたたませた滴と呼ばれ、美しい水をたたえています。
    この土地の美しさはとても口では言い表せません。
    特に日暮れ時、空にも水の表にも自然の織り成す様々な色が映り輝きだします。
    そしてその周りには地の果てまで湖と島々が延々と続いているのです。

    その昔、北ロシアという自然の厳しい中に暮らしていた人々は驚くほど豊かな文化財と建築物を私たちの時代に残してくれました。
    このキジイまたはキージという言葉はカレリア語で遊び楽しむ集まりという意味です。
    おそらくずっと昔、キリスト教改宗以前の時代、そのお祭りの際、この島には人々が集まり歌や踊りに興じていたのではないでしょうか?
    10世紀から12世紀になるとここへはノーブロゴから人々が移住してくるようになります。
    その後15世紀の末までにモスクワ大公国の大地に組み込まれます。
    当時キジイはこの大きなモスクワ公国の一管区の中心地であり、島の中の村々の付近に点在する島々とを統括していたのです。

    0854
    キジイ島の歴史はこのあたりの地元の暮らしと古いかかわりがあります。
    この地に住んでいた才能ある大工、匠たちがこのキジイ島で腕を奮い、その結果残してくれた見事な古代建築が現在私たちの前にそびえたっているのです。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/顕栄聖堂_(キジ島)

    0914
    さて1714年ピョートル1世の時代にこの島にはすでに建築アンサンブルの中で中心となる建物、つまり教会が建てられました。
    プレオプラジェンスカヤ(主の変容教会)です。
    このプレオプラジェンスカヤ教会は北ロシアの古い建築物のなかでもっとも美しいものとされています。
    残念なことにこの教会を建てた棟梁の名は伝えられていませんが、その代わり今日まで残るこんな言い伝えがあります。
    教会を建てた大工ネストルは工事が完了したとき、湖に斧を投げ込みこう言ったといいます。

    これほど美しい建物は今までかつてなかった。
    そしてこれからの建てられることはない。


    そしてこの言葉どおり、この教会はロシアの建築を代表する一番見事な木造建築の1つであり、建築工芸の推移を体現するものです。
    そして匠たちはモノつくりの黄金律、つまり使い勝手のよさ、長持ちすること、そして美しさ、このすべての条件を満たすものを作り上げたのです。

    教会は古代ロシアルーシでは正確な図面を引かず、伝授された工法によって建てられていました。
    このプレオプラジェンスカヤ教会は22の丸屋根を冠しています。
    この22の丸屋根が見事なハーモニーを奏で、建物に独特の壮大さと威厳を与えています。
    教会の高さは37メートル、その畏怖堂々とした姿は辺りの風景を圧しています。
    ところが教会のそばにたたずんでも不思議と威圧感や丸太の重量感というのを感じさせません。
    これは容積の大きさを感じさせないような建築の巧みなトリックが使われているからです。
    それからもう1点特筆するべきことはこの建物には釘が1本も使われていないということです。

    北ロシアではこういった特別な格式ある壮麗な教会を建てるときはその保存を第一に考え、普通暖房を廃した、つまり内部で火を一切焚かない作りがとられました。
    プレオプラジェンスカヤ教会もその例で夏用の暖房の効かないつくりです。
    この教会では夏の暖かい季節にのみ礼拝が行われました。
    では冬の間の礼拝はどうしたのか?といいますと、普通こうした豪華な教会のわきには暖房の効く、しかし外見上は多少控えめな教会が建てられそこで行われました。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/生神女庇護聖堂

    キジイ島でそういった冬用の教会となったのは生神女の庇護教会という教会です。
    外から見るとこのポコロワ教会はプレオプラジェンスカヤ教会の荘厳さの隣にあって全く異なる趣をもっています。
    伝統的にこのような冬用の教会は丸屋根ではなく、斜塔型のつまり円錐形の尖塔を戴いてるのが普通です。
    しかし尖塔を冠すとどうしても建物の頭は重たくなり、全身がどっしりと地面に腰を下ろしたような印象を与えかねません。
    それに隣のプレオプラジェンスカヤ教会のせっかくの美しいシルエットを圧してしまうことでしょう。
    教会を建てた大工たちはその危険性を感じたのでしょう。
    ここでは伝統を廃し、斜塔尖塔を建てる代わりに10の小さな丸屋根を組みあわせ、屋根全体をふっくらとした王冠型に仕立てることでしのいでいます。
    このおかげでポクロワ教会の建物はまるで空に向かって蒸気が立ち上り、溶け込んでいくように軽やかな姿となり、2つの教会の姿は1つのシルエットに溶け合って建築の和音を奏でています。

    1400
    さて今度は別の教会、ラザロの復活教会をご紹介します。
    このラザロの復活教会はロシアに現存する木造建築物では一番古い部類に属します。
    大きな要石の上に切り出しの太い丸太の壁がどっしりと乗っかっています。
    この教会は近くの修道院からキジイ島へ移築されました。
    斜塔を尖塔をいただく鐘楼は1874年に建立され、鐘は今日でも現役で美しい音色をかなでています。
    この鐘楼はキジでの現地の建築アンサンブルのなかでも一番新しいものです。
    ラザロの復活教会はプレオプラジェンスカヤ教会とポクロワ教会の間にうまく配置され、考え抜かれたそのシンプルなその建築ラインが2つの教会の壮麗な形を抑える働きをしています。
    この建物をバランスよく置いた名も知れぬ匠たちのそのセンス、絶妙なバランス感覚には舌を巻きます。
    教会のアンサンブルの周りを廻りながら時間を追うごとに移りゆく景色を眺めていると何度見ても見飽きることがありません。

    1533
    この島には大きな村はなく小さな村々がお互い鎖のようにくっついて隣り合っていました。
    村と村の間には沼と森があり、家は湖を向いて建てられています。
    水辺近くに蒸し風呂小屋と干した魚をしまう貯蔵庫があり、小高く開けた場所には風車小屋が設けられました。
    そして村の一番美しいところ、または道が交差するところに礼拝堂、チャペルが建てられたのです。
    キジイ島の自然保護区にしつらえられた展示施設用の村も本来の村をなぞらえ、同じような構造をもつように建てられています。
    ここでは本物の村の雰囲気を醸し出すために村のすべての建物がその建物本来の機能に沿って建てられています。
    博物館の職員たちは実際に北ロシアの伝統的な家屋に暮らしています。
    大きな2階建ての家は住居部分と農作業用の空間が1つの屋根の下に連結しており、厳しい冬の寒さに耐え、この地方の農民たちの北国独特の暮らしに合う作りとなっています。
    こうした家の外側には必ず装飾を施した渡り廊下と木彫りの窓枠で飾られ内部にはロシア農家特有の暖房、ペチカがありました。
    家の中で家畜を飼うものもいました。
    家のわきにはペチカ用の薪がたくさん積んであり、斜めになった垣根が野菜畑をぐるりと囲んでいました。

    1734
    湖へは船用の接岸がたくさん突き出しています。
    今も昔も水による交通手段が一番頼りになることは変わりありません。
    決められた時期に草刈りが始まり、祝日を待つお祭りには教会へと縁日を楽しむために近くの村々から人々が集まってきます。

    1802
    キジイ島の博物館のフォークロワ民俗楽劇場は伝統的な縁日の出し物を復活させました。
    古いキジイ島の村々は活気づき、それがまた復元された村々に本当に昔からあるような息吹を吹き込んでいます。
    カレリアの古い木造建築はロシア文化の歴史のすべての時代を代表しています。
    ですからこのキジイ島野外自然保護区は全体が北ロシアの農民文化を紹介する博物館と言え、またそうした博物館の中では最大級のものの1つです。
    キジイ島自然保護区には76の歴史建築物が含まれています。
    また自然保護区内の民俗楽博物館にはカレリア地方の農村で使われていたおよそ3万点の生活用具が展示されています。
    16世紀から19世紀のイコンが約500点あり、北方の特有のイコンをよく表しています。
    しかしキジイ島自然保護区には単に過去の文化財を保存しているだけでなく、その研究センターでもあります。
    ここではカレリアの歴史や建築、民俗学が研究され、会議が開かれ研究成果が発表されています。

    1936
    このキジイ島を紹介した最後に付け加えたい情報があります。
    実は毎年6月夏休みの時期にキジイ島では子供たちによる音楽フェスティバルが開かれているのです。
    フェスティバルは開催されてすでに12年、ロシアの各地から6000人を超す人たちが参加してきました。
    毎年違うテーマを掲げて催されますが、参考に最近のテーマを挙げてみますとキジ工芸の島とか文化の出会い、また2つの叙事詩への国への旅などがありました。
    今年は来週日曜日の12日に予定され、テーマは民族の遊びとなっています。
    ロシアだけでなくウクライナ、アルメニア、グルジア、フィンランドなどから23の子供のフォークラグループが参加します。
    遊びはどこの国でも共通するものですから理解するのに言語知識や通訳は要りません。
    2045

    http://ja.wikipedia.org/wiki/ソロヴェツキー諸島
    https://ru.wikipedia.org/wiki/Соловецкие_острова

    2132
    それではここでもう1つのロシアの世界遺産であるソロヴェツキー諸島をご説明しましょう。
    ソロヴェツキー諸島は1992年に歴史文化複合遺産としてユネスコに登録されました。
    そして1995年、今度はロシア国内で国定重要文化民俗遺産に指定されています。
    さてそれではこのソロヴェツキー諸島にはいったいどんな特徴があるのでしょうか?

    実はこの諸島はロシア史上、この諸島が地図の上で占めている面積よりもさらにずっと大きい歴史的意味を持っている場所なのです。
    ソロヴェツキー諸島は北極圏の南端にあり、白海への入り口に位置します。
    宇宙からこのソロヴェツキー諸島を見るとその輪郭は十字架に似ているそうです。
    ソロヴェツキー諸島は海の上の道、つまり航海路に面しているだけでありません。
    ここは気流の通る道でもあるのです。
    この一帯を支配しているのは風です。
    実際風速は毎秒8メートルにも達し、一番穏やかな日でさえ竜巻の唸る音が聞こえるくらいです。
    冬はここには巨大なオーロラが出現します。
    オーロラはさまざまに形を変え、動きを変えます。
    垂直方向に大きな柱が立ったかと思うと次の瞬間に水平な弧を描いて広がり、またメラメラと燃える炎の下が王冠のような形を見せたりします。
    一方夏には時々光の不思議な屈折現象、蜃気楼が現れ、まるで幻影のように島全体が陽炎のなかに沈み込むのです。

    2334
    ソロヴェツキー諸島はソロヴェツキーとアンゼルスキー島など6つの大きな島々と数えきれない多くの小さな島々から成り立ちます。
    そのうち最大のソロヴェツキー島はこの諸島の中で唯一人間が住むことができる場所で面積では地中海に浮かぶマルタ島と同じくらい、246平方キロメートルです。
    ソロヴェツキー諸島の自然は驚くほど豊かで550種以上の植物が生えています。
    気候としては2つの気候帯が重なり合うちょうど絶妙な地点に位置しています。
    森の層としては亜寒帯のタイガと永久凍土のツンドラ地帯の入り混じった森を構成し、何百という湖が淡水をたたえています。
    この土地特有の気候のおかげで森や野原は春夏秋の花々がほぼ一斉に開花し咲き乱れるのです。

    植物層の豊かさに負けず劣らず動物の種類もとても多いこともこのソロヴェツキー諸島の特徴です。
    海では最大の哺乳類、シロイルカが普段生息しているさらに北の海からこのタトウ海、つまり諸島の沿岸部にやってきます。
    シロイルカのこの移動は繁殖行動、つまりつがいを見つけ、子育てをすることを目的としており、すでに6000年以上前からこういった移動を行っております。
    また空に目を転じますと世界で一番長い渡りを行うことで有名なキョクアジサシがここの空の主となっています。
    このキョクアジサシは本能に従い、南極から子午線に沿ってこの北極圏の境まで地球半分を巡る長い飛行を行います。
    小さいながら勇敢なこのキョクアジサシはヨーロッパ最大のコロニーをこのソロヴェツキー諸島に作っています。
    このようにソロヴェツキー諸島はまるでダイヤモンドのように屈折する光で輝き目を楽しませてくれるだけでなく、ユニークな自然環境の美しさも兼ね備えたそんな土地なのです。

    2608
    ところがここの素晴らしさは自然だけではありません。
    実はここはバビロニア文明と同じころ、もうすでにいくつかの文明が栄え、その後が良好な状態で保存されているのです。
    まず渦巻き型に小石を敷き詰めた迷宮のような場所があります。
    こういう渦巻き状の遺跡は世界の他の地域、例えばスカンジナビア半島、イギリス、オーストラリア、カフカス、イタリアでも発見されています。

    ソロヴェツキー諸島の1つ、ザヤーツキー島 (Малый Заяцкий остров) にある迷宮はこうした迷宮の中では世界最大級とされています。
    我々の祖先はソロヴェツキー諸島、あの世とこの世の境だと考えていました。
    北方の先住民族サーム人は種族の指導者や英雄がなくなると、その亡骸を葬る弔いを行うために荒れ狂う海を越えてこの島までやってきました。
    ここはサーム人にとっては定住のための地ではなかったのです。

    2722
    16世紀の半ば、2人の修道士はここソロヴェツキー諸島を魂の救済に適した場所と考え、ここに修道院を建てました。
    それから何十年か後、この場所は歴史のいたずらで恐ろしい島流しの場所と化しました。
    ソロヴェツキー監獄はハムレットの中に出てくるエルシノア城と同じ時代のものです。
    修道院時代、修道僧が住んでいた僧房であったところは監獄の独房となり、4世紀の間常にカラになることはありませんでした。
    ここにはロシア全土からおびただしい数の受刑者が送り込まれ、二度とふたたび生きて島から出ることはなかったのです。
    ソロフキ、ソロヴェツキー諸島は一般に略してこう呼ばれます。
    ソロフキの名はこの監獄のそして恐怖の代名詞となり、聞いただけで人々は震え上がったものです。

    後の1920年代の半ば、今度はここにソ連初の強制収容所を作りました。
    ソロフキは単なる島々の集合体を表す名称であったのが、この強制収容所が出来てからはソ連という時代の弾圧の象徴に等しくなり、遠く国外でもよくない方の意味でその名がとどろいたのです。
    ソロフキ収容所が他の収容所と違ったのはここにはいわゆる社会的異分子と呼ばれる人々、つまりその出生、受けたしつけ、教育がソ連の升の人々とは違うという人々が酋長したのです。
    政治宗教民族社会に問わず、様々な人々がソロフキに送られ、そこが対の住家になりました。
    ソロフキや他の強制収容所でこうした形で一生を終えた人々はロシア全土で約100万人に上りました。
    ソロフキの遺志はモスクワへと運ばれ市内中心部のルヴァンカ広場にある政治的弾圧を受けた人々に捧げる記念碑の台座に置かれました。
    ロシアの多くの人々にとってソロフキの名はロシア正教会の修道院と強制収容所を同時に連想させるものです。

    でもこの2つの施設があったのは実はソロフキのもつ長い歴史の尺度からすればほんのわずかな時間のことです。
    ソロフキは地政学的に有利な土地にあるため軍がかつてその土地を基地にしようとしたこともありました。
    また歴史家たちはこの諸島一帯が世界遺産に登録されたことに言及し、ここを歴史建築保護区にするべきだと主張しています。
    一方でロシア正教会はここにはもともと修道院があったのだから聖教の地にすべきであることを疑っていません。
    確かに1990年から再びソロヴェツキー男子修道院が復活しています。
    エコロジストたちはこの地の珍しい自然や島々のまわりの海水域をこれからの世代に伝えるため、一帯をぜひ国立公園に指定するべきだと考えています。
    鳥類学者たちの言うことも非常にもっともで長年の調査の重要性も唱えていますし、生物学者らはここソロフキはシロイルカが生息するような稀な地域なのだから国際研究ステーションを作って保護を務めようと主張しています。

    ロシアや北ヨーロッパを見渡してもこのソロフキのように修道院と収容所という歴史建築物を併せ持った場所は他にありません。
    そのソロフキを毎年多くの観光客や巡礼者たちが訪れます。
    2001年にはロシアのプーチン大統領も来訪しました。

    3131
    最後にソロフキという土地の属性について一言付け加えたいことがあります。
    実はソロフキの土壌は非常に薄い層でできていて、歴史を重ねるごとに地層が堆積して昔の層が地下に潜るということがありません。
    そのためすべての時代の痕跡が地表上に隣り合って残っています。
    例えば湖の岸辺で釣りのためのミミズを探して石をどけたら収容所の警備兵が携えていた赤さびた剣や新石器時代の石斧が出てきたということもあります。
    砂に埋まっていた茶色の球は19世紀半ばの大砲の弾でしょうか?
    そしてその隣にある白樺の皮細工の釣り具農機はもっと古い時代のものかもしれないのです。
    こんな雄大の歴史の流れを1つの場所で感じることができ、しかも一昼夜徒歩で歩いてすべてが見られる、これがソロフキという土地の醍醐味なのです。

    3240
    ロシアのユネスコ登録世界遺産についての3回シリーズの第1回目をリュドミラ・サーキャン解説員のお話でお送りしてきました。
    来週の第2回ではロシア正教のゆかりの地、セルギエフ・ポサード市のトローイツェ・セルギエヴァ・ラーヴラ、至聖三者聖セルギイ大修道院をとりあげます。

    3343

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