お答えします 2006年0X月X日木曜日 ロシアの宮殿について

    お答えします 2006年0X月X日木曜日

    A.お題
    ロシアの宮殿について
    https://soundcloud.com/sputnik-jp/palaces

    翻訳アナウンス:平谷・真野
    メロディ=1-1

    情報元:
    (消滅)21.08.2006, 16:28 「ロシアの宮殿について」
    https://web.archive.org/web/20071009064027/http://www.ruvr.ru/main.php?lng=jap&w=2


    C.本文

    1220
    3年前の2003年サンクトペテルブルグ建都300年祭=2003年5月23日から6月1日
    今年の7月G8予定
    G8サンクトペテルブルク・サミット(2006年7月15~17日)



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    お答えします 2006年1月1X日木曜日 (モスクワクレムリンについて)

    お答えします 2006年1月1X日木曜日
    12・19

    A.お題
    モスクワクレムリンについて
    https://soundcloud.com/sputnik-jp/kremlin

    翻訳アナウンス:真野・平谷
    メロディ1-2

    再放送日時
    2014年8月16日21時台


    B.選曲(ノーアナウンス)

    1曲目
    -
    ライマバイクレ? -


    C.本文

    2442
    前置

    2506
    クレムリンというのは都市の内部の城塞のことで、これはモスクワだけにあるものではありません。
    多くの古い都市にあり、モスクワのクレムリンよりももっと年齢の古いのも少なくありません。
    それではこのへんで今日のテーマ、モスクワのクレムリンについての番組を始めましょう。
    この放送をお聞きの方の中にクレムリンを訪れた方もいらっしゃいますでしょうが、その歴史についてはあまりご存知ないかもしれません。
    クレムリンの歴史からはじめたいと思います。

    2614
    モスクワは9世紀以上の歴史を持つ街です。
    それでも今のモスクワは古代の都市であったという印象を与えず、むしろ未来を見つめる街のように見えるかもしれません。
    ですが、実はモスクワには何世紀にもわたる歴史を経る中でそれぞれの時代の節目、複雑な運命の変わり目がくっきりと残した痕跡が今なお残る場所があります。
    それがクレムリンです。
    モスクワは11世紀の終わりに小さな入植地として作られた街で、最初は周りをお堀と土塁で囲んだだけのものでした。
    クレムリンはすなわちモスクワの歴史の要覧期ともいえるものです。
    今のクレムリンはモスクワ川を眼下に望む巨大都市の小高い場所に位置しています。
    モスクワ川を隔て岸の反対側からクレムリンを眺めるとその壁や高い塔が壮大な建築閑散部の囲いとしてそびえたち、見事な美しさに感慨を受けます。
    また近くで見ますと古い砦の堂々たる姿に圧倒されます。
    強力な壁や守りの兵がいた細い開口部のある高い塔はそれがまさしくクレムリン、城塞であったことを感じさせてくれます。

    2738
    ところがクレムリンに一歩入ると印象はがらりと変わります。
    いかめしい城塞の中には思いがけなく広い広場があり、感じのいい細道や豪華な宮殿、金の丸屋根を戴く教会が迎えてくれるのです。
    古い大砲・鐘を戴くロシアの正教寺院、そして当時モスクワ一の高さを誇った鐘楼などここでは至る所で歴史の息吹が感じられます。
    またここでは新旧すべてのものが肩を寄せ合うように並んでいます。
    皇帝の住んでいた御殿も新しい時代の宮殿も現在の大統領宮殿も世界に名だたる美術博物館も同じ場所に仲良く存在しています。

    2831
    大昔はこの金の丸屋根の寺院やクレムリンのキザギザした壁のあったあたりには松の林がこんもりと茂り、風に枝をざわめかせていました。
    松の林、これはロシア語でボロフスク(Бо́ровск)といいますが、ですからクレムリンのある地名はボール・オヴィツキー、松のようなというのです。
    1156年、モスクワ大公のユーリー・ドルゴルーキーの命令でここに土塁と守りのカベが築かれました。
    ところでこの城塞を示すクレムリン、またはクレムニクという言葉自体が年代記に現れたのは1339年のことです。
    敵の来襲の備えた守りのカベは当時木製で度重ねる火事で大きな損傷を受けていました。
    そこで1366年から1年の間、木材の壁クレムリンの周りには白い石の壁を築き、守りが強化されました。
    この白い石というロシア語のベロカーメニ(Белый камень)という言葉は未だに土地の名前として残り、モスクワはベロカーメナヤ、白い石の街と呼ばれるようになります。
    この名称は1485年から10年をかけて赤いレンガを使ってクレムリンの壁が再建された後でも生き続けました。
    クレムリンの壁の中では様々な歴史が繰り広げられました。
    皇帝が暮らし、婚礼の式が執り行われ、ロシア皇帝の戴冠式が行われたのです。
    またロシア正教の大きな祝日にはモスクワ中の市民がクレムリンへと押し寄せました。
    ところが20世紀の1917年の社会主義革命の後、ここはボリシェヴィキ政府の支配する場所となり、クレムリンは特別な許可がない限り滅多に人が入れない場所となります。
    スターリンの死後、1955年からクレムリンが国立野外博物館となったおかげで入場が許されるようになっています。

    3049
    それではクレムリンの塔についてお話ししましょう。
    なかでも一番古い塔はタインスカヤ塔です。
    ロシア語で秘密の塔という意味を持つタインスカヤ塔は1485年創建で、そのロマンチックな名称はここに隠れた井戸があり、敵に包囲されたとき、モスクワ川へ逃げ出すことができる地下の抜け道があることに由来しています。
    また大時計を戴いたスパスカヤ塔は1491年の創建、クレムリンのシンボルでモスクワから外国向けのルポタージュが送られるとき、よく背景に映っていますから皆さんもご存知でしょう。
    また大時計も何度か作り変えられ、その奏でられる音楽も何度か変えられています。
    教会音楽であったり、インターナショナルな軍艦音楽であった時代もありましたが、1996年からはロシアの国歌が奏でられています。

    3146
    1650年代、スパースカヤ塔のてっぺんにロシアの国章、双頭のまちがすえつけられ、その後しばらくして他の塔にも双頭のまちが掲げられました。
    この帝国のしるしは1934年に降ろされ、代わりにつけられた赤い星はその3年後、高さ3メートルから3.75メートルで巨大なルビー色に輝く電光の光、電光の星とさらにその姿を変えています。
    1701年ピョートル1世の命令でクレムリンの中に武器や軍の装備を保管する兵器工場が建てられています。
    これはその後、戦の誉れをたたえる博物館へと姿を変えるはずでしたが、この計画は途中でとん挫します。
    この兵器工場のわきに1778年、モスクワの建築家マトベイ・カザコフによって建てられたのが元老院です。
    元老院は大きな丸屋根を戴き、その中央にはモスクワを守る聖人、聖ゲオルギーが金に塗られて建っていました。
    この元老院の建物は1812年、ナポレオンのモスクワ遠征の際、火を放たれ消滅した後は長い間復興されていませんでした。
    その後復興された元老院の建物に1918年3月からボリシェビキの指導者、共産党の生みの親、レーニンの執務室が置かれ、レーニン自身そこに居住するようになりました。
    この執務室はレーニンの死後、一般公開され、最近モスクワ郊外のレーニンスキエゴールドキという小さな町にあるレーニン博物館に移されています。

    3355
    クレムリンのなかでは文化関連施設のあるゾーンと行政関連の建物のあるゾーンがはっきり分かれています。
    1991年からクレムリン内部には大統領官邸と呼ばれる部分がありますから行政ゾーンには立ち入りが固く禁じられています。
    またクレムリンはユネスコの自然文化遺産に登録されました。
    内部には国立歴史文化屋外博物館モスクワクレムリンがあり、2001年4月その博物館長にはあの有名な宇宙飛行士ガガーリンの娘のエレーナ・ガガーリナさんが任命されています。

    3434
    現在クレムリンの内部は昔の小さな通りがたくさんあった様子とは全く違い、ほぼ1つの開けた空間といってもいいでしょう。
    広場としてはサボールナヤ広場、これは聖堂広場という意味ですが、それとイワノフスカヤ広場の2つだけ、また通りはスパスカヤ通り、ニコーリスカヤ通り、そして共産党通りから最近名称を変えたドブロツカヤ通りの3つだけが残りました。
    こんな広場や通りもほとんど型どおり通りとか広場と呼ばれているだけでモスクワの市民もこんな名前は知らないようです。

    さてクレムリンの文化ゾーンの中心はサボールナヤ広場です。
    このほんの小さな広場が実はロシアの建築史の数世紀を凝縮し、ビジュアルに示した刺胞の絵画であることをご存知でしょうか?
    この広場の建築アンサンブルはここにモスクワの、そして古代ルーシ全体のロシア正教の中心となる寺院が相次いで建てられた1400年代後半に形成されました。
    その昔、このサボールナヤ広場で戴冠式が行われ、正教の祝日には十字架後進の列が作ったものです。
    イヴァン大帝の鐘楼からもモスクワの空へと鐘の音がゆったりと広く流れ出したことでしょう。
    後進の列に金の縫い取りの旗がひらめき、まばゆいばかりの祭りの服に身を包んだ聖職者たちが民衆を祝福する声がこだましたことでしょう。

    3641
    古代ルーシでは鐘の音は教会の礼拝へと人々を誘うばかりではなく、盛大な式が行われたり、悲しい出来事の時も喜ばしいお祝いの時も必ず鐘が打ち鳴らされたものです。
    社会主義時代を経て今日にこの鐘の音は甦ろうとしています。
    1月7日、ロシア正教の降誕祭にあたるこの日、クレムリンの鐘が打ち鳴らされたのを合図にモスクワ中の多くの教会の鐘がそれに和合して鳴らされました。
    そしてモスクワおよび全ルーシの創始卿、アレクセイ2世は昔の習い通りウスペンスキー大聖堂で礼拝を行っています。

    3729
    ウスペンスキー大聖堂、ブラゴヴェッシェンスキー聖堂(これは聖母受胎告知聖堂の意味ですが)、それからアルハンゲルスキー聖堂、この3つの建物が競って立つ様子はサボールナヤ広場にもクレムリン全体にも独特の印象を与えています。
    この建築アンサンブルの中心となる建物はウスペンスキー大聖堂です。
    このウスペンスキー大聖堂は1479年、イタリア・ボローニャの建築家、アリストテレ・フィオラヴァンティが建てています。
    建築のモチーフはルーシの古都ウラジーミルにある12世紀の傑作ウスペンスキー寺院からとられています。
    これは古代ルーシの文化の継承者たるモスクワの地位を示すための措置でした。
    数世紀にわたり、このウスペンスキー大聖堂はルーシの教会の頭となる存在でした。
    歴代のツアーリ皇帝たちはこの大聖堂で婚礼をあげたものです。

    1547年イヴァン4世、雷帝と呼ばれるイヴァン4世がここで戴冠式を挙げています。
    そして皇帝の最後のセレモニーとなったのが1896年のニコライ2世の戴冠式でした。
    皇帝が王座に登るこの重要な戴冠式だけは首都がサンクトペテルブルグが移った後も、変わらずここモスクワのクレムリンのウスペンスキー大聖堂で続けられました。
    また国のお触れがここで発表され、大主教総主教が選出され、戦場に赴く前はここで勝利を祈る礼拝が行われたものです。
    ウスペンスキー大聖堂は1812年、モスクワを退去するナポレオンが放った火によって、また1917年の砲撃によって2度の大きな損傷を受けました。

    大聖堂を巡ってはまことしやかに語られるこんな逸話があります。
    1941年12月、モスクワ市の境までナチス・ドイツ軍が迫っていた絶体絶命のときのこと、時の権力者スターリンはなんとウスペンスキー大聖堂で街の防衛を祈願する祈祷を行うよう秘密裏に命じたというのです。
    この聖堂の素晴らしさは目を見張るばかりの内部の装飾にあります。
    カベに描かれたフレスコ、おびただしい数のイコン、まばゆい装飾の数々、これはまさしく世界芸術の刺胞です。
    ウスペンスキー大聖堂は美術館として機能し続けていますが、1990年より礼拝が復活しています。

    4023
    ブラガヴェッシェンスキー聖堂(聖母受胎告知聖堂)はロシアの歴代のツアーリたちが礼拝をおこない、婚礼をあげ、子供の洗礼を行ってきたいわばお家の教会でした。
    イヴァン雷帝イヴァン4世の時代、屋根つきの回廊と別室の祈祷室が設けられています。
    これはイヴァン雷帝がそれまでのツァーリのしきたりに反し、4度も妻を娶ったためで祈りの場に出ることを禁じられたからです。
    聖母受胎告知聖堂にはロシアで一番古いイコノスタス、祈祷者と聖職者の場を分けるイコン、聖像画の高いカベがあります。
    イコンはすべて14世紀から16世紀のもので、なかには有名なイコン画家のアンドレイ・ルブリョフやヒョーハン・グレイクのものも含まれています。

    4114
    アルハンゲルスキー聖堂はその美しさで際立つ存在です。
    ここには17世紀末、ロシアの首都がモスクワからサンクトペテルブルグに移されるまでに財した大興やツアーリの遺骸が納められています。
    もし礼拝が行われているときにここにいらっしゃることがあれば、素晴らしい聖歌隊の歌声を耳にすることができます。
    その4つの声が合わさった独特の音色に彩られた美しいメロディが音響のいい聖堂内の独特の雰囲気と溶け合い、震えるような感動を覚えられることでしょう。
    このほか高さ81メートルのイヴァン大帝の鐘楼も圧巻です。
    この鐘楼は16世紀初めに建てられたものです。
    鐘楼からモスクワの街を眺めるとあまり背の高い建物は目立ちませんでしたが、その代わり庭・庭園・たくさんの通りや大小さまざまな教会の屋根がよく見えたものです。
    1883年、救世主キリスト聖堂が建てられるまではこの鐘楼は長い間モスクワで一番高い建物でした。

    4226
    このイヴァン大帝の鐘楼は東側、石の土台に据えられた大きな鐘が鐘の皇帝と呼ばれるものです。
    これは1735年11月25日、アンナ・イヴァーノヴァ皇妃によって鋳造の命令が下って作られたものです。
    装飾の仕上げを行うため、鋳物が行われた穴の中にそのまま残されていたのですが、2年後に起きた火事の時、消火作業の水が部分的にあたって冷やされ、割れ目が入ってしまいました。
    結局11.5t分の金属が落ちたままの状態で鋳造の穴に残されたまま100年以上が経過し、1836年になってやっとクレムリンに運ばれて台に据えられたのです。
    この鐘は現在に至るまで世界最大の鐘となっていますが、重さ200トン以上の鐘はつるされたこともなく、その音を聞いたものは誰もいません。

    4326
    もう1つクレムリンの記念碑、大砲の皇帝をご紹介しましょう。
    これは1586年、アンドレイ・チョーホフによって鋳造されたもので、世界最大の武器の1つとされています。
    大砲の長さは5メートル以上、重さは39312キログラム、また大砲の足元には4つの大きな球が転がっていますが、それぞれの重さは1トンとこれもまた尋常ではありません。
    大砲の皇帝という名はヒョードル・イワーノビッチ邸の姿から来ているとも、またその大きさから来ているとも言われています。
    大砲はクレムリンの防衛のため、つまり自衛のために作られたものですが、戦闘で用いられることは一度もありませんでした。

    4417
    クレムリンの中でも一番時代の若い建物に属すのが大クレムリン宮殿です。
    この建物はサンクトペテルブルグに皇帝が住まうようになってからの時代の皇帝一家のモスクワにおける官邸としてニコライ1世の命令で1839年から10年をかけて建てられました。
    この建築には数名のロシア人建築家が携わっています。

    700以上の部屋のある建物には5つの大きな広間があります。
    アンドレイの間、アレクサンドルの間、ウラジーミルの間、ゲオルギーの間、エカチェリーの間の5つのうち、最後に開けたエカチェリーの間ではエレガントな譲渡品がため息を誘います。
    豪華絢爛でありながら心地のいい雰囲気が漂うこの間は歴代のお妃たちの鎮座する間として使われてきました。
    また一番大きいゲオルギーの間は壮麗さを誇っていますが、これはロシアの軍隊でもっとも誉れの高い勲章、ゲオルギー勲章にちなんで名づけられています。
    大理石のプレートにはロシア軍連隊の名称、軍艦の乗員、大体1万人以上の将校・将軍など、聖ゲオルギー勲章が授与された名前がずらりと記されています。
    現在この間は大統領の就任式、勲章の授与式、外国の大使の信任状の授与などのほか、盛大な催し物が行われるときに使われます。

    4614
    19世紀のはじめはクレムリンの歴史の中で大きな出来事が起きます。
    時の皇帝アレクサンドル1世は1806年3月10日、歴代の太公らツアーリたちの宝物が納められた建物、武器庫を博物館として一般公開することに踏み切ります。
    武器庫という名が混乱するのでしょう。
    今でも武器が展示されているのだと思われる外国の観光客が多いものです。
    武器庫は元々ここに武器を作る工房があったため、その名がついています。
    さてこの武器庫はロシアの博物館・美術館史上、一般に公開された初めての場所です。
    大祖国戦争つまり第二次世界大戦の間、ここの宝物は万一の難に備え、モスクワを離れ、ある場所に疎開させられていました。
    実際はクレムリンは空襲を受けることは有りませんでした。
    この武器庫の建物は今年2006年、創建200周年を迎えています。

    4726
    この武器庫の展示物は主にロシア帝国の財産として、またロシア正教の総主教座に何世紀にもわたって集められた財宝やクレムリンお抱えの職人工房が生み出した工芸品、また外国の大使館から贈り物として受け取った宝物です。
    少し順を追ってあげてみましょう。
    古くから帝国に伝わる国の王冠や尺、きらびやかな衣装、戴冠式用のガウン、聖職者らの絢爛たる財布、ロシアや外国の選れぬきの職人たちが作った金銀の工芸品、馬車、武器、このように目を奪うばかりの手工が武器庫にはおよそ4000点収められています。
    いずれも贅の限りを尽くした品々ばかり、こうした14世紀から20世紀までの世界東西の装飾工芸品の品々は芸術的に最高峰のものであり、また歴史文化遺産として世界的な意味を持つものです。

    4833
    この武器庫の中に世界最大のダイヤモンドを収めたダイヤモンド庫があります。
    これはロシアでも一番裕福な博物館です。
    ロシアの、そして世界の最も高価な貴金属・宝石を使った豪華な装飾品が集められているからです。
    ダイヤモンド庫が作られたのはピュートル1世の時代で、元々は王権の象徴たる王冠や尺、勲章を収める場所として建てたものでした。
    その後ロマノフ王朝しかり、ソビエト政権支配の間も、また現在においてもコレクションは増え続けています。
    ここには世界で一番高価な装飾品が収められています。
    それはエカチェリーナ2世が所有していたもので、約5000個のダイヤを散りばめた貴金属でできた豪華な王冠です。
    あまりの輝きに目を奪われてしまうくらい、怪しい力のあるものです。
    また最初にお話しした世界最大のダイヤとはシャーと呼ばれるもので、インドで採れたもっとも古いダイヤの1つとされ、石には中世の文字が刻まれています。

    4942
    前に申しあげたように、クレムリンの敷地の建物は幾たびかの火災に見舞われ、何度も修復を重ねてきています。
    しかし歴史の中でも20世紀はクレムリンにとっては一番野蛮な時代であったのです。
    革命前からの文化遺産に対し、ひどい行為がなされたのがこの20世紀だったからです。
    30年代に特に活発に反宗教家プロバカンダが掲げられた結果、内部の教会・修道院は宗教活動を辞めさせられただけではなく、破壊を受けました。
    一番の憂きみを見たのがこのモスクワのクレムリンでした。
    1929年、チューフドフ修道院とボズネセンスキー修道院の2つが壊されています。
    この建物の跡に軍学校が建てられたものの、修道院がクレムリンに与えてきた美しさに匹敵するもの、こんな軍の施設に期待することはできませんでした。
    でも時代というものはそれぞれの風貌を持つものです。
    相次ぐ破壊の中でもっともむごたらしかったのがモスクワ大公・イヴァン・カリターニによって1330年に建てられたクレムリン最古の教会スパスタワール寺院の破壊でしょう。
    これはクレムリンに建てられた石造りの教会としてはもっとも初期のものでした。
    長い年月の間この教会はクレムリンの数ある教会の中でも一番の尊敬を集めていた存在でした。
    それが1933年5月1日、土台からそっかり姿を消したのです。

    5118
    クレムリンの建築アンサンブルを最後の危機が見まったのは1950年代から60年代にかけてクレムリン大会宮殿の建設が決まった時代です。
    社会主義モダニズム様式のこの宮殿はあまりに巨大で、クレムリンの古い建築物とあまりにも釣り合いを欠いた存在です。
    この大会宮殿、現在の名称・国立クレムリン宮殿も多くの歴史的瞬間を目撃してきました。
    ソ連共産党大会が初めて開かれたのもここ、そしてソ連崩壊後、ロシアが民主主義の道を歩むことを決め、代議員たちの最初の大会が行われ、連日激しい論争が繰り広げられたのもこの建物でした。
    またロシア初の大統領が宣誓の言葉を読み上げられたのもこの舞台の上のことだったのです。
    今やここは文化の花形の舞台といえます。
    ほぼ毎晩のようにクレムリンバレエ団の公演が行われ、またモスクワを訪れる世界のトップアーティストたちが出演しています。
    レイチャールズ、バネッサ・メイ、エルトン・ジョン、ティナ・ターナーとそうそうたる顔ぶれの他、もちろんロシアのスターたちも公演を行っています。
    また毎年冬になると子供たちのためにクリスマスのもみの木の祭りが行われるのもここクレムリン宮殿です。
    確かにこの灰色のクレムリンの宮殿は歴史的建築物の多いモスクワのこの地区の背景には釣りあいませんから、将来ロシアホテルやインツーリストホテルのように取り壊される運命も無きにしに非ずと言えるのではないでしょうか。

    5302
    1997年モスクワは建都850年祭を盛大に祝いました。
    このときクレムリンも大がかりな修復工事を行い、いくつかの建物では歴史的風貌が取り戻されています。
    クレムリン大宮殿のアレクサンドルの間、アンドレイの間が復活し、元老院の大改修工事が行われました。
    今ではロシア正教の大祭日にはクレムリンの中の聖堂で礼拝が行われています。
    長い沈黙の年月を経てやっとこうした聖堂の鐘が高らかに鳴らされる時が来ました。
    何をしても埋めることのできない失われたものはあっても松林の他、ヴォロビィスキーの丘の古い砦は過去の記憶をずっと留めてくれています。

    5349
    さて番組の最後に一言付け加えておきたいことがあります。
    それはクレムリンの宮殿も博物館も同じ1つの使命を共有しているということです。
    クレムリンにある博物館では通常どこでも選り抜きの室内合唱団、声楽家、合唱団の参加する音楽フェスティバルやコンサートが行われています。
    音楽プログラムの伝統的サイクルの幕開けとなるのがクレムリンのラジェストボー、降誕祭フェスティバルです。
    このフェスティバルで一番の人気を誇るのがクレムリン室内オーケストラです。
    また武器庫やパトリアールシェ宮殿のホールではロシアおよび外国の作曲家の冬や降誕祭をテーマとした演奏されています。
    そして昨年2005年の暮れ、12月14日から今月1月24日まではモスクワクレムリン博物館200周年祭の枠組みで第10回記念フェスティバルが行われており、そろそろ終盤を迎えております。

    5456
    さていかがでしたでしょうか?
    (省略)

    5515

    スポーツの時間 2006年1月18日水曜日

    スポーツの時間 2006年1月18日水曜日

    A.お題

    1.





    情報元:
    趣味のBCLの部屋
    http://www.sky.sannet.ne.jp/fuki1965/log200601.html

    2006年1月7日土曜日番組表

    2006年1月7日土曜日番組表


    21時台
    ニュース
    ラジオジャーナル今日の話題
    シベリア極東ジャーナル


    22時台
    ニュース
    ラジオジャーナル今日の話題
    お便りスパシーバ



    情報元:
    http://www003.upp.so-net.ne.jp/PECHIKA04-10-29/nenmatunensi.html
    BCL岩沙さんのお家
    http://www.geocities.jp/ka_iwasa/receivelog2006.htm

    2006年1月6日金曜日番組表

    2006年1月6日金曜日番組表

    21時台
    ニュース
    ラジオジャーナル今日の話題
    臨時企画:ロシアの世界遺産3


    22時台
    ニュース
    ラジオジャーナル今日の話題
    MMMモスクワミュージックマガジン


    情報元:
    http://www003.upp.so-net.ne.jp/PECHIKA04-10-29/nenmatunensi.html

    お答えします 2006年スケジュール

    お答えします 2006年スケジュール

    0105:臨時企画休止
    0112:
    0119:
    0126:
    モスクワクレムリン

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    0707:
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    0721:
    0728:

    0803:
    0810:歴史都市プスコフ
    0817:
    0824:
    0831:

    0907:ロシアの自動車事情
    0914:ロシアの放送事情
    0921:
    0928:

    1005:
    1012:
    1019:
    1026:ロシア人の起源
    ロシアの教会の歴史&スラブ人の歴史

    1102:ロシアの年金生活者の生活
    1109:ロシアにおける数学の教育
    1116:ロシアの考古学
    1123:
    1130:

    1207:
    1214:
    1221:
    1228:ロシア・ソビエト映画史


    2006年1月5日木曜日番組表

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    21時台
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    臨時企画:ロシアの世界遺産2


    22時台
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    ラジオジャーナル今日の話題
    臨時企画:カレンダーリ2006-後半


    情報元:
    http://www003.upp.so-net.ne.jp/PECHIKA04-10-29/nenmatunensi.html

    2006年1月4日水曜日番組表

    2006年1月4日水曜日番組表

    21時台
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    ラジオジャーナル今日の話題
    臨時企画:ロシアの世界遺産1


    22時台
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    ラジオジャーナル今日の話題
    臨時企画:カレンダーリ2006-前半


    情報元:
    http://www003.upp.so-net.ne.jp/PECHIKA04-10-29/nenmatunensi.html

    2006年1月3日火曜日番組表

    2006年1月3日火曜日番組表

    21時台
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    ラジオジャーナル今日の話題
    臨時企画:MMMモスクワミュージックマガジン


    22時台
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    ラジオジャーナル今日の話題
    臨時企画:朗読「ロシア人の自然観を読む」その1


    情報元:
    http://www003.upp.so-net.ne.jp/PECHIKA04-10-29/nenmatunensi.html

    2006年1月2日月曜日番組表

    2006年1月2日月曜日番組表

    21時台
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    ラジオジャーナル今日の話題
    シベリア銀河ステーション


    22時台
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    ラジオジャーナル今日の話題
    MMMモスクワミュージックマガジン



    情報元:
    http://www003.upp.so-net.ne.jp/PECHIKA04-10-29/nenmatunensi.html

    2006年1月1日日曜日番組表

    2006年1月1日日曜日番組表

    21時台
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    ラジオジャーナル今日の話題
    臨時企画:スノービムゴーダム声の年賀状-前半


    22時台
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    ラジオジャーナル今日の話題
    臨時企画:スノービムゴーダム声の年賀状-後半



    情報元:
    http://www003.upp.so-net.ne.jp/PECHIKA04-10-29/nenmatunensi.html
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