MMMモスクワミュージックマガジン 2007年11月30日月曜日

    MMMモスクワミュージックマガジン 2007年11月30日月曜日

    A.トーク
    ソフィアロタル特集!



    情報元:
    http://8429.teacup.com/matsu6446/bbs/143

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    お答えします 2007年11月XX日木曜日 (ロシアの少数民族1)

    お答えします 2007年11月XX日木曜日

    A.お題
    ロシアの少数民族1
    http://japanese.ruvr.ru/2008/01/03/418282/
    https://soundcloud.com/sputnik-jp/north

    情報元:
    https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2008/05/12/418368/

    C.本文

    お話を進めるにあたって少数民族の分布を地理的観点からたどっていくことにします。
    まずは北から。

    1
    ロシアの最北の地は北極圏です。
    これは60度の緯度より高い地域を指します。
    実はこの北極圏にロシアの領土の5分の1が存在するのです。
    この地域の気候はもちろん非常に厳しいです。
    北極圏は一面が氷で覆われた氷原とツンドラ、森林ツンドラ、タイガの北の地方などの亜北極地帯が含まれます。
    これは文句なしに人間の生命が成り立つ限界の極限の世界といえましょう。

    北極圏では7月でさえ平均温度は10度を超えることがありません。
    川や海の氷も半年以上溶けることはありません。
    長く暗い夜が続いたかと思うと、今度はいつまでも太陽の沈まない昼がつづきます。
    磁気嵐が吹き荒れ、強い風に激しい吹雪、濃い霧、そして永久凍土。
    これらすべてが人間の体に大きなマイナス要因となります。
    一年の4分の3は雪に覆われた冬です。
    ですからたくさんの沼の底の地面も長年に渡る永久凍土でがちがちに堅くなったままなのです。
    冬、ツンドラ地帯では気温は氷点下50度にまで下がります。
    6月の平均気温は12度を上回ることはありません。
    ツンドラの植物相は単調なものです。
    コケ、地表を覆う小さな植物の地衣類、背の低い草、低木しか生えないのは、このような植物以外、厳しい寒さと強い風に耐えられるものはないからです。
    それでも夏や秋にはツンドラでも野いちごやきのこが顔を出し、川や湖ではザリガニや魚が多く採れます。

    2
    ロシアではそういう極北の地に入る地域は次の通りです。
    西から東にむかって列挙しますと、
    アルハンゲリ州のカレリア共和国、
    ネネツ自治管区、
    チュメニ州のヤマロ=ネネツ自治管区、
    クラスノヤスルク地方のタイミル自治管区、
    ヤクート(サハ)共和国のヤクーチヤ、
    マガダン州のチュクチ自治管区、
    イルクーツク州、
    サハリン州、
    ハバーロフスク地方のそれぞれの北部、
    北氷洋、バレンツ海オホーツク海に浮かぶ島々。
    以上がロシアの極北とされる地域です。

    こういった北極圏に昔から暮らす人のほとんどが北方少数民族です。
    2002年に行われた国勢調査の結果、ロシアの北極圏には24の少数民族が住んでいることがわかっています。
    彼らは今日にいたるまで独自の言語と文化を守り、伝統的な生活様式に従って暮らしています。

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    残念なことに20世紀の間にこういったロシアの少数民族の数は激減しました。
    そのひとつの理由にあげられるのが極北地方で産業開発が盛んに行われたことです。
    というのもこの北極地方にこそ、希少金属、貴金属、ニッケル、アルミニウム、金、ダイヤモンド原石、石油、ガス、石炭など、ロシアの天然資源が集中しているからです。
    たとえばロシアの天然ガスの91%は北極圏に埋蔵されています。
    ですからこの地域に産業複合体施設が建てられて、自動車道、鉄道がとおり、石油パイプライン、ガスパイプラインが敷設され、炭鉱業やボーリングが始まると、もちろん環境に修正のきかないほどの有害な物質が空中に撒き散らされ、エコロジーバランスが壊されてしまったのです。
    この結果、少数民族が昔からの営みを続けていける場所が大幅に減ってしまいました。
    現在、北極圏の自然には注意が払われるようになり、工場施設など建設はすべてその計画を厳しいエコロジー環境鑑定にさらさねばなりません。
    ロシア政府も北方少数民族の暮らす環境が保全されるよう、また言語、文化が守られるよう積極的な働きかけを行っています。

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    こんなふうにロシアの少数民族は最も生活条件の厳しい土地に暮らしていますが、そのなかでももっとも最たる厳しい条件とされるのはチュコトカ半島とベーリング海の島々です。
    ここにはチュクチ人、エスキモー、コリヤーク人、エヴェンキ人が暮らしています。
    チュコトカ半島に最も古くから暮らしているのはチュクチ人です。
    考古学者たちの説では半島にチュクチ人たちが暮らし始めたのは紀元前4世紀とされています。
    ところがこの「チュクチ」という民族名が公のものとなったのは17世紀のことと歴史が浅いのです。
    というのもこのころに極東へ探検旅行に出たロシア人たちが、この土地で先住民族にあい、この名称を考え出したからなのです。

    ところでこのチュクチという名称はチュクチ人の言葉の「チャウチュ」が変化したものです。
    「チャウチュ」とは「トナカイをたくさんつれた人、つまり、豊かな人」をさします。
    チュクチ人の間ではトナカイを100頭足らずしか持たない人は「貧乏人」とされていました。
    100頭以下では自力で家族を養うことはできず、豊かな金持ちのところで働かざるをえなかったからです。
    チュコトカ半島のなかでもトナカイの飼育に携わっていたのは内陸部に住む人たちだけで、沿岸部に暮らす人々は漁業や捕鯨が主な生業でした。
    チュクチ語は極東に暮らす少数民族、エスキモーやコリヤーク人、ユカギール人などの言葉と同じ起源を持っています。
    また細く切れ長の目はモンゴル人の顔つきに似ており、黒光りするブロンズ色の肌はアメリカの先住民、インディアンを思い起こさせます。

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    チュクチ人たちはいつも時代も狩猟に長けた民族としてその名がとどろいていました。
    狩は弓矢で行うのが普通ですが、鳥をしとめるときはトナカイの皮でできたベルトの先に石を結びつけた道具をつかい、これを頭の上でまわして飛び立とうとする鳥をからめとります。
    これに似た道具を南アメリカのインディアンも用いており「ボラ」と呼ばれています。
    また鯨を射止めるときは銛(もり)の先に石をつけたものを使います。

    チュクチたちは移動手段にふつうトナカイの橇を使っていましたが、犬橇を使うこともありました。
    また海原を渡ることにもたけ、20人乗り30人乗りの船を上手にこいでいたものです。
    追い風にのるときは四角形のトナカイの皮からできた帆をはって進みました。
    また大波から船を守るためには舵に空気を入れて膨らませたアザラシの皮を浮き輪のかわりに取り付けています。
    この皮袋はアザラシの内臓を抜いてつくったものです。

    6
    現在でもチュクチ人たちは仮小屋のような住いを2、3棟たてて暮らすことを好んでいます。
    この方法ですとトナカイがえさとなるものを食べつくしたとき、簡単に家を解体して次の場所に移動することができるからです。
    彼らの家はトナカイの皮からできています。
    サーカス小屋のようなシャトー型で底面は多角形です。
    家を支える数本の柱に重い石を結びつけることで強い風が吹いても倒れることがないのです。
    このように建てた家の中央部に囲炉裏を切ります。
    この囲炉裏は暖をとり、食事の支度をする台所の役割も果たします。
    座る椅子は鯨の大きな背骨です。
    いまどきのチュクチ人はもちろん金属製の鍋ややかん、ナイフやフォークを使いますが、それでも労働の場面でもちいる道具は昔と変わらず骨や石でできたものを用います。
    弓矢の先の刃も骨か石ですし、明かりを点すのも石の皿でそこにアザラシの脂を入れて燃やすのです。

    冬の衣服ですが、これは北極圏に暮らす人たちに共通する典型的なスタイルです。
    若いトナカイのやわらかい皮がその材料で、男たちは二重にした毛皮のシャツを羽織ります。
    肌に直接きるほうの下着のシャツは毛のほうが肌にあたるように着、その上に羽織るシャツは毛皮が外になるように着ます。
    二重に着るのはシャツだけではありません。
    パンツもそうです。
    パンツもやはり毛皮で縫います。
    これに短い毛皮のタイツと毛皮のブーツ、そして女性用のフードのような帽子が加わって完成です。
    この格好はいまのファッション用語で表現すると上下がつながった「つなぎ」の毛皮バージョンで、その腰の部分が詰まった形といえましょう。

    でも女性の服は胸の部分が広く開いており、袖も幅広で赤ん坊に乳を飲ませるときや、家事をするとき、袖を捲り上げるのも簡単です。
    乳幼児用の服にはトナカイの袋に袖と足の部分をぴったり縫い付けたものを用います。
    おむつにはコケを何層にもしてトナカイの毛皮と重ねたものを使います。
    赤ん坊の排泄物を吸収したこのおむつは服の穴に取り付けられた管のようなものをとおし、毎日取り替えられます。

    7
    次はチュクチ人の食生活についてご紹介しましょう。
    彼らの主食は肉です。
    肉は脳みそから腎臓、肝臓、目、すじにいたるまで、すべての部位を生でも、煮た状態でも食します。
    また野菜はありませんから、辺りに生えている植物の根、茎、葉をトナカイの血と脂とともに煮たものを食べます。
    それからさらに変わった食べ物といえばトナカイの大きな胃袋から取り出したコケを挙げることができるでしょう。
    このコケからつくられる一品がチュクチ人の間でもっともポピュラーな食べ物で、これをトナカイの血と脂と細かく切った肉と共に煮て食べます。

    さてチュクチ人の間では一種の一夫多妻制が許されており、親戚どおしで妻を交換し合います。
    また若い娘にとって純潔であることはたいした意味を持ちません。
    チュクチ人の宗教は自然の中に多くの神の存在を感じるアニミズムで、自然現象、天体、動物に神が宿ると信じています。
    そんな彼らにとってトーテム(つまり一番重要な信仰の対象)は白熊とカラスです。
    この世のわざわいは病気や死もふくめて悪い霊の仕業だと考えられています。
    悪い霊を退けるのはシャーマンの仕事で、彼らは鈴をつけて踊り、霊を払います。
    またそれぞれの家庭でも魔よけの聖なる鈴があります。
    シャーマンのお払いの力を待つ暇がないときはその鈴を鳴らして自ら悪霊ばらいをするためです。

    チュクチ人たちは人が死ぬとその遺体を荼毘に伏すか、またはトナカイの生肉を薄切りしたものでくるみ野におきざりにします。
    現在チュクチ人の多くが一般の都市の生活様式に従うようになりましたが、トナカイの飼育をつづけているものたちは先祖からの暮らしを今も引き継いで守っています。
    チュクチ人はマンモスの骨を見事に細工する伝統工芸を持っていますが、これも現代にいたるまで引き継がれています。

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    チュクチ人のフォークロアは非常に豊かな世界を形成しています。
    特に伝説の多くは美しい湖、エリギギトゥギン湖にまつわるものです。
    チュクチ人たちはエリギギトゥギン湖には怖い怪物が住んでいて人間を襲っては喰らうのだと信じているため湖には近づこうとしません。
    20世紀初頭にロシア人の研究者らがこの湖に関心を持ち、その成り立ちの謎を解こうとしましたが、現在に至るまで解明されていないのです。
    湖は理想的な円形をしており、その形があまりにも人工的であることが不思議です。
    それに永久凍土地帯にあり、しかも湖の深さは170メートルもあるのに底の土壌は凍らないのです。
    この「エリギギトゥギン」という名称そのものが「凍らない」という意味を持っています。
    研究の結果、この湖の年齢は350万年ということがわかりました。
    湖の底は約200メートルにもわたって、貝類、生きたバクテリアが堆積しています。
    これは一種独特の記録といえましょう。
    研究者たちは北極圏でこれだけの深さの堆積物がある湖はここだけだと述べています。
    チュクチ人は湖には怪物が住んでいると信じていますが、この伝説の解明を研究者らは急いでいません。
    エリギギトゥギン湖は350万年もの間凍らなかったのです。
    ですからその中に不思議な動物相があってもおかしくないのです。

    9
    チュクチ人たちは同じ語源を持つ民族であるエスキモー、ベーリング海の島々に住むアリューシャン人、またカムチャッカ半島の先住民族、コリヤーク人など、周りの民族と広く交易を行っていました。
    エスキモーやアリューシャン人はカヤックにのり、くじらをとり、あざらしをとることを主な生業としています。
    また冬に備えて鳥の生息地から卵をとって蓄えてもいました。
    ぴったりと体に沿い、外気を通さない毛皮の衣服は寒さからベーリング海の島々の間を吹き荒れる強い風から体をしっかり守ってくれます。
    彼らたちははじめは鳥の皮をはぎ、その羽毛生えているほうが肌にふれるように身につけ、それで寒さをしのいでいました。
    ところがチュクチ人と交易をするようになってトナカイの毛皮をたくさん買うようになり、これで衣服を作るようになりました。

    エスキモーやアリューシャン人たちの伝統的な住いは半分が地面の下になるように掘り込まれた通称「イーグル」と言われる雪のドームです。
    こうした家では煮炊きや暖房に動物の脂を燃料としたランプを用いていました。
    エスキモーやアリューシャン人たちの伝統食はせいうち、あざらし、くじらの肉です。
    肉は冷凍肉、発酵させたもの、日に干したもの、煮たもの、と、いろんな方法で調理します。
    なかでもチュクチ人との交易でえられるトナカイの肉は珍重されていました。
    あじつけは植物性の材料でつくった食べ物、昆布、貝など海の軟体動物です。

    家の中で用いる道具には植物の繊維を編んだかばんや籠、ござがあり、干した肉や脂を保存するためには、アザラシの胃袋を裏返しにしたものが使われました。
    今でも移動手段は昔と変わらず犬ぞりか、短い、幅の広いスキーです。

    信仰の対象はチュクチ人と同じく、エスキモーもアリューシャン人もアニミズム、自然信仰です。
    チュクチ人は白熊とからすがトーテムでしたが、エスキモーやアリューシャン人たちはからすとシャチです。
    シャーマニズムは今でも健在で、シャーマンたちの身に着ける衣装は鳥を象徴しているとされています。
    また彼らは祖先の霊を敬い、石や骨、木、鳥の羽毛をつかって霊を表現し、お守りとしたものを、先祖代々受け継いでいます。
    彼らもまた骨を使った細工を得意としていますが、チュクチ人がマンモスの牙を使っていたのとはちがい、材料はセイウチの牙です。

    10
    それではこんどはカムチャッカ半島に目を転じましょう。
    カムチャッカの先住民族はイテリメン人とコリヤーク人です。
    イテリメン人とコリヤーク人はチュクチ人と同じく、太平洋・モンゴロイド系の人種で、アメリカの先住民族インディアンと多くの共通点があります。
    コリヤーク人は沿岸部に定住するものとトナカイを追って移動型の生活をおくるものと二手に分かれます。

    トナカイの放牧生活をしていれば、生活に必要なものはすべてそこからえられたものでした。
    肉は料理につかわれますし、毛皮は服をぬうのに、また厳しい自然から身を守る住居「ヤラング」をつくるのに役立ちます。
    そしてトナカイの骨は労働のための道具、生活用具をつくるのに使われます。
    また脂は文字通り光熱材料で、家の中を照らし、あたためてくれるものです。
    トナカイは今も昔もコリヤーク人にとっては移動手段でありつづけています。

    放牧生活ではなく沿岸に定住しているコリヤーク人は海洋動物の皮をはった大きな船で海に漕ぎ出したものでした。
    彼らは鯨を追い、船のへさきに結びつけた銛でつき、石の矢尻を矛先につけた槍でついてしとめるのです。
    また伝統工芸としてはコリヤーク人は木、骨の彫刻やトナカイの毛皮を細かく裂いて編んだ敷物を得意としています。

    11
    イテリメン人は昔から川で魚を採って暮らしてきましたが、それでも経済の主軸は海の動物を追うことです。
    陸の動物を追うことをしなかったのはイテリメン人たちの住む場所には魚が豊富にとれたこと、また魚の卵や植物にも恵まれていたからです。
    それでも今日イテリメン人たちの経済は95%が毛皮にまつわるもので、高価な毛皮をえるためにテンやホッキョクキツネをしとめます。

    イテリメン人たちはつい100年前まで土でできた小山のようなかたちの家に住んでいたものです。
    家の入り口は煙の出口でした。
    現在ではこの小山型の家はまったく過去のものとなり、ロシア人の住いと同じようなものをたて住んでいます。
    イテリメン人たちは衣服の材料にトナカイや犬の毛皮や海洋動物や鳥の皮をつかいます。
    また靴には魚の皮が用いられます。
    陸を移動するときは犬ぞりか、スキーで、また海にはくりぬき船に乗り込みます。
    大きい貨物を運ぶときは、いくつかの船を横に並べ、大きなフェリーにして運びます。

    12
    イテリメン人たちは北極圏に住む少数民族のなかでは最もおしゃれな民族といえましょう。
    特に女性がおしゃれで、彼女たちは家の外に出るときはかならず鬘をつけたものです。
    鬘は大きければ大きいほど、おしゃれで、美しいとされました。
    イテリメン人の女性たちは帽子をかぶらないであるくので鬘はすぐに目を引くのです。

    イテリメン人の衣装は見事な手技で目を引きます。
    襟にすそに、袖口に、またフードにあしらわれた毛皮には色を染めたテンの手やアザラシの毛がたくさんぶらさがっています。
    この手や毛が歩くたびにゆれるので、毛がふさふさして温かい感じがするのです。
    おもしろいことにイテリメン人の言葉で「カムチャ」というのは「毛がふかふかしている」という意味をさします。
    ここカムチャッカにイテリメン人たちが現れたのは今から5000年ほど前ですが、もしかしてここが彼らにとって「ふかふかした」「カムチャ」な土地に思えたから住み始めたのでしょうか? 
    そしてこのカムチャッカ半島という名称も彼らが与えたものなのでしょうか?

    13
    イテリメン人たちは、その周辺の民と同様良い霊、悪い霊の存在を信じ、自然の中に神が宿ると考えています。
    こうしたアニミズムもイテリメン人にかかると驚くほどプラグマチックなもので、霊にはそれぞれがもつ影響力の位があり、それが人間の物質的な幸福に関係するととらえられているのです。
    ですから魚をもたらしてくれる海の神様がもっとも位の高い神とされています。
    またイテリメン人たちはこの世は永遠のもので、魂は不滅だと考えています。
    この世は永遠なのですが、そこに少しでも長くとどまろうと彼らは男性も女性もたくさんのお守りを身に着けています。

    イテリメン人にはシャーマンもいてその大多数が女性です。
    ただしシャーマンといっても独特の衣装をきたり、鈴を鳴らしたりするものではなく、古代ギリシャと日本と少し似たところがあり、未来を予言したりするのです。

    イテリメン人たちは祭礼儀式を好んで執り行いますが、これはその儀式が近隣の民族に比べにぎやかで、うかれたものだからでしょう。
    祭の日シャーマンたちは霊を呼び込みますが、これは決して恐ろしいものではなく、楽しい踊りと歌声で霊をおろすのです。
    伝統工芸ではイテリメン人たちも彫刻や皮を編んで敷物をつくることを得意としますが、もっとも長けた分野は衣服を飾ることで、刺繍や毛皮のアップリケ、草を編んだレースなどで意匠を凝らします。

    ミュージック・アントラクト 2007年11月19日月曜日

    ミュージック・アントラクト 2007年11月19日月曜日

    A.トーク
    ロシア交響音楽!



    情報元:
    http://8429.teacup.com/matsu6446/bbs/143

    臨時企画 200x年x月x日x曜日

    臨時企画 200x年x月x日x曜日

    テーマ:
    朗読・ユーリー・コヴァーリ「しろっぱちゃん」
    https://soundcloud.com/sputnik-jp/story
    編集改造32分05秒

    担当:
    真野・山上・菅・いちのへ

    A.トーク
    作品の朗読がなされました。


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