お便りスパシーバ 2013年5月25日土曜日

    お便りスパシーバ 2013年5月25日土曜日

    担当:


    A.トーク




    情報元:
    potatoのラジオ受信記録
    http://potato1013.blog22.fc2.com/?mode=m&no=1141
    スポンサーサイト

    2013年5月24日金曜日番組表

    2013年5月24日金曜日番組表

    21時台
    ニュース
    ラジオジャーナル今日の話題
    ?


    22時台
    ニュース
    ラジオジャーナル今日の話題
    再放送:MMMモスクワミュージックマガジン(5月20日放送分)

    MMMモスクワミュージックマガジン 2013年5月20日月曜日

    MMMモスクワミュージックマガジン 2013年5月20日月曜日

    A.トーク



    B.選曲

    1曲目



    情報元:
    http://9326.teacup.com/pechika/bbs/133

    お便りスパシーバ 2013年5月18日土曜日

    お便りスパシーバ 2013年5月18日土曜日

    担当:


    A.トーク
    ロシアの都市名変更の歴史
    軟らかすぎる?ロシアの声日本語サイト



    情報元:
    potatoのラジオ受信記録
    http://potato1013.blog22.fc2.com/?mode=m&no=1136

    お便りスパシーバ 2013年5月11日土曜日

    お便りスパシーバ 2013年5月11日土曜日

    担当:
    日向寺

    A.トーク
    連休期間のため日向寺アナウンサー一人



    情報元:
    potatoのラジオ受信記録
    http://potato1013.blog22.fc2.com/?mode=m&no=1131

    MMMモスクワミュージックマガジン 2013年5月10日金曜日

    MMMモスクワミュージックマガジン 2013年5月10日金曜日


    A.トーク
    2013年7月5日は1943年に第二次世界大戦でのクルスクの戦いが始まってから70周年


    B.選曲

    1曲目
    Песня о Советской Армии
    ソ連軍の歌

    2曲目
    Ура Ура ?
    ウラーウラー

    3曲目
    Марш "Прощание славянки"
    スラブ娘の別れ

    4曲目
    Смуглянка
    スムグリャンカ (小麦色の娘)

    5曲目
    Кристина Орбакайте - Катюша
    クリスチーナ・アルバカイテ - カチューシャ


    再放送日時
    2014年5月9日

    お答えします 2013年X月X日木曜日 (女優タチアナ・サモイロヴァについて)

    お答えします 2013年X月X日木曜日
    (放送日未確認=2013年5月9日-2013年12月26日)28回

    05=09/16/23/30
    06=06/13/20/27
    07=04/11/18/25
    08=08/22/29
    09=05/12/19/26
    10=10/24
    11=07/14/21/28
    12=12/19/26


    A.お題
    ロシア人の女優、タチアナ・サモイロヴァについて

    翻訳アナウンス:真野
    メロディ=3

    再放送日時
    2014年5月6日22時台
    2014年5月7日21時台


    C.本文

    3521
    前置

    3634
    前置

    3648
    昨年2012年はロシアの誇る2本の傑作映画が記念すべき年を迎えたときでした。
    ミハイル・カラトフズ監督の「鶴は飛んでいく」は55周年を迎え、そしてもう1つのアレクサンドル・ザルヒ監督の「アンナ・カレーニナ」も45周年を迎えています。
    その両方の映画で同じ女性が主演を務めています。
    タチアナ・サモイロヴァ。
    この名前は2つの映画に撮影された女優として永遠の記憶に刻まれています。
    冷戦がもっとも頂点に達した時代、サモイロヴァはその才能で西側世界を魅了し、ロシアそのものを炎のごとく燃え、変わりゆく謎めいた国として体現する存在でした。

    3752
    タチアナは1934年5月4日に今のサンクトペテルブルグ、当時のレニングラードで生まれました。
    父はソ連の国民的俳優のエフゲニー・サモイロフ、少女は体が弱く病気がちであったため、両親は娘の体を鍛えようと舞踊学校に入学させています。
    舞踊学校の学芸会に出席したタチアナに当時すでに名声を手にしていたバレリーナ、マイア・プリセツカヤが目をとめました。
    プリセツカヤはボリショイ劇場付属のバレエ学校に移るようタチアナに助言します。

    ところがタチアナをより魅了したのがバレエではなく映画でした。
    これは父親の影響でしょう。
    このとき父のエフゲニー・サモイロフはすでに多くの映画に出演し有名になっていました。
    学校を卒業するとタチアナはシュウキン付属演劇大学に入学します。
    そして2年生に進学したとき、デビュー作となる映画「メキシコ人」に初出演を果たしています。
    映画に出演したことでタチアナはシュウキン付属演劇大学での学業を断念せざるを得なくなります。
    というのも演劇大学で学ぶ学生は映画に出演することを禁じられていたからでした。
    映画「メキシコ人」ではバレエ学校で得た経験が功を奏しました。
    シナリオでは踊る場面が多かったからです。

    この映画は大当たりはしなかったものの、タチアナが当時没頭したいたのは私生活のほうでした。
    演劇大学きっての畏怖堂々とした男性で後に有名な俳優となるヴァシーリ・ラノイヴォフとタチアナはめくるめくる大恋愛を展開していました。
    2人は結婚し、幸せな月日を送った後、破局に至ります。
    ところが運命の糸は2人を再び撮影の場で結ぶことになります。
    ただしこれについてはもう少し後でお話ししましょう。

    4011
    1957年タチアナはモスフィルム、モスクワ映画会社から「鶴は飛んでいく」に出演しないかと依頼を受けました。
    映画はヴィクトル・ローゾフの戯曲「永遠に生きる」をモチーフにしていました。
    映画の舞台は大祖国戦争当時のモスクワ、若いヴェロニカとボリスは互いに愛し合い、そろそろ結婚を考えています。
    2人はモスクワの街を歩きながら空を見上げると鶴が楔形に群れを成して飛んでいくのに気が付きます。
    そのときクレムリンのスパスカヤ塔の時計が朝の4時を打ちました。
    まさにこの日の朝、戦争が始まったのです。
    ボリスは前線に召集されます。
    ヴェロニカのほうにはにっちもさっちもいかない状況に追い込まれ、ボリスの弟の元に嫁ぐことになってしまいます。
    ところが愛する人を裏切ったという両親の呵責は一時たりともヴェロニカの心を去りません。
    戦争が終わりヴェロニカはボリスが戦死したことを知ります。
    戦争に勝利した喜びもヴェロニカの心の中ではボリスを失った激しい悲しみとないまぜになってしまいます。

    4140
    監督のミハイル・カラトゾフは絶えず揺れ動く人物像を追い求めていました。
    それは憂いを知らぬ、そしてエゴイスティクさをもちあわせている少女が苦しみを負う女性へと変貌していく姿でなければなりません。
    タチアナ・サモイロヴァの均整のとれた容姿と激しい気性にカラトゾフ監督は感動を覚えました。
    こうした感動は後にサモイロヴァとカラトゾフ自身も全世界に与えることになります。
    ところがタチアナのほうはほとんどパニック同然の状態でした。
    歳も若く経験も少ない自分が画面でヒロインの5年もの人生を表現しなくてはなりません。
    しかもそれはこの国が最も苦しい時代を生きていたときの話でした。
    タチアナは肉体的にも精神的にも瀬戸際の状態で演じます。
    しかしその演技と言ったらどうでしょうか。
    自由奔放でインスピレーションに満ち、夢中で情感たっぷりに映画の悲劇性を若さの未熟さではなく、深く全神経を通してタチアナは見事に表現したのです。

    4257
    映画は見る者を震撼させましたが、ソ連の批評家たちはこれを完全に無視しました。
    「鶴は飛んでいく」は寸前のところで闇に葬り去られて棚の上でホコリを被るところだったのですが、そのときにはすでにカンヌ国際映画祭の公式プログラムに入っていました。
    フランスに着いた撮影班が待っていたのはクラクラするような驚くべき事態でした。
    上演ホールはソ連映画に割れるような拍手喝采が起こり、普段は意見の分かれる観客と批評家たちが一体となって賛辞を惜しみませんでした。
    「鶴は飛んでいく」はカンヌ映画祭の最優秀賞、金のヤジ賞を獲得します。
    「ロシア人の女神の瞳におぼれてしまいそうだ」
    と有名な画家、ハブロピカソは映画の観賞の後、主演女優のタチアナ・サモイロヴァのことをこのように評しています。

    4403
    カンヌ国際映画祭の大成功の後、タチアナ・サモイロヴァをハリウッドがハンティングしようとします。
    アンナ・カレーニナの主役を演じないかという誘いでした。
    ところがソ連国家映画局は首を縦に振りません。
    当時の文化省大臣を務めていたエカテリーナ・フルセヴァは
    「アメリカがなんですって?サモイロヴァはソ連の財産です。わが国には我が国のアンナ・カレーニナが撮影されるのですから」
    と叫びましたが、当時ソ連の映画監督の中からはアンナ・カレーニナを撮影しようとする者は出ませんでした。
    カンヌ映画祭であれだけの成功を収めた後にはタチアナ・サモイロヴァはさぞや引手あまたになるであろうだとの期待とは裏腹にたった数本の映画に出演しただけで、その後サモイロヴァの姿はスクリーンからぷっつりと消えてしまいました。

    4512
    タチアナ・サモイロヴァに返り咲きの時が訪れたのは1967年、アレクサンドル・ザルヒ監督がアンナ・カレーニナの役を提示したときでした。
    当時世界では16本のアンナ・カレーニナの映画が撮られていました。
    ザルヒ監督がアンナ・カレーニナの役にサモイロヴァを抜擢したことは多くの人たちには青天の霹靂でした。
    というのも監督には主演女優にとソ連映画界きっての美人女優たちが提示されていたからです。
    ところがザルヒ監督が探していたのはそれとは別のものでした。
    タチアナのなかに監督は19世紀の貴族の混乱しきった魂を見てとります。
    そしてその勘は間違っていませんでした。
    サモイロヴァはトルストイの描いたヒロインをスクリーンの上で見事に演じきったのです。

    4614
    サモイロヴァの主演する映画が世界中で大ヒットを飛ばしているさなか、フランスのウイークエンド誌は
    「タチアナ・サモイロヴァは一時の中断期間を経て再びスクリーンに登場した。
    女王のような振る舞い、あたたかな褐色のヒトミのきらめくまなざしが見事に調和した彼女のアンナ・カレーニナはあらゆる面で見る者を虜にする」
    と書きたてました。

    4644
    面白いのはこの映画でアンナの相手役であるボロンスキーを演じたのが、かつてのサモイロヴァの夫、ヴァシーリ・ラノイヴォフであったことです。
    撮影の場で2人は離婚以来10年の歳月を経て再開しました。
    タチアナ・サモイロヴァは再開の時点で昔の感情はもう残っていなかったと語っていますが、ラノイヴォフのほうは回想禄でこんな風に語っています。

    「わたしたちはボロンスキーとカレーニナを苦も無く演じることができた。
    なぜなら共に暮らした日々がわたしたちにはあったからだ。
    現実の中で培われたものがあったことで、この映画はスパイを効かせたものになると思う。」


    4734
    ザルヒ監督のアンナ・カレーニナではベトサ役をマイヤ・プリセツカヤが演じましたが、プリセツカヤはそれから7年後、今度はバレエ版のアンナ・カレーニナでアンナの役を演じるようになりました。
    この物語にはいくつかの運命が錯綜しています。
    アンナ・カレーニナの映画化作品はザルヒ監督がメガホンをとる前もその後も少なからず誕生しており、アンナの役は様々な国の有名無名の女優たちが演じてきてきましたが、ロシア人たちにとってはタチアナ・サモイロヴァの演じたアンナ・カレーニナこそがトルストイの小説のヒロインを表すまがいもない定型となっています。

    4826
    当たり役に自信を得たサモイロヴァは他の監督らから出演の依頼がくるものと当てにしていましたが、そうしたものは続きませんでした。
    映画スタジオへお百堂空のごとく疲れたサモイロヴァは映画俳優劇場の舞台で演じるようになりましたが、それから得られる満足はありませんでした。
    1990年代の到来とともにロシアの映画産業は完全に衰退します。
    サモイロヴァは若さをすっかり失っていました。
    そしてこう決断します。

    映画は若いうちに撮るほうがいい。
    力もあり限界を超えて鼓動するエネルギーのあるうちに。
    でも気力を失い、精力をそがれ、自分に対する自信を失った俳優は見る者にはもう面白くないのよ。


    4924
    2000年、タチアナ・サモイロヴァには映画「24時間」への出演依頼が舞い込みます。
    この時点ではサモイロヴァは10年以上もカメラの前に立っていませんでした。
    出番の少ない母親役にはサモイロヴァは即座に応じました。
    その時以来、サモイロヴァはさらに数本の映画に出演していますが、いずれも端役に終わっています。
    「鶴は飛んでいく」のВероника(ヴェロニカ)、そしてАнна Каренина(アンナ・カレーニナ)はロシア映画芸術の粋として永遠の記憶に刻まれ続けています。

    5003
    サモイロヴァ自身はそんな運命を望んだでしょうか?
    この問いの答えとしてはアンナ・カレーニナのセリフが妙を得ているでしょう。
    このアンナのセリフはタチアナ自身の世界観と一致しています。

    5033
    絶望からわたしを救っているのはただ愛だけです。
    後悔しているかですって?
    いいえ。
    もしすべてを最初からやり直すとしてもわたしは全く同じことを選んだでしょう。


    5108
    2013年5月、タチアナ・サモイロヴァは79歳の誕生日を迎えました。
    サモイロワは現在モスクワで1人で暮らしています。
    時折テレビのトークショーに出演し、プレスからのインタビューに答えることもあります。
    入院生活を送ることもしばしばとなってきました。
    息子のドミトリーは20年前、医学校に通う学生の身分でアメリカ人女性と結婚し渡米します。
    夫婦には娘が生まれましたが、ドミトリーは母の名前をとってその娘をタチアナと名付けました。

    5148
    さて(質問者)がご指摘していますようにクラムスコイの筆による見知らぬ人とアンナ・カレーニナとの関係ですけど、これは噂の域を出るものではないと思われます。
    アンナ・カレーニナ像についてはレフ・トルストイはアレクサンドル・プーシキンの長女マリアになぞらえて書いたという根拠の強い説があります。
    トルストイはマリアが美しさと幸福の絶頂があるときにこのマリアと会う機会がありました。
    トゥーラ郡のある機会のことです。
    その晩トルストイとマリアは長い語らいの時をもち、文学について芸術についてそれぞれの印象を交換しました。
    トルストイを感動させたのはマリアのエレガントな身振りだけではありません。
    その大胆さ、独創的なものの見方にトルストイは大きな感銘を受けています。
    それでもアンナ・カレニーナ像の元となったのはマリア・プーシキナだけではありません。
    トルストイと同世代の複数の女性の性格がこのヒロインのなかに現れていると言われています。

    5325
    締め

    5621
    (完)

    文化の世界 2013年5月7日火曜日

    文化の世界 2013年5月7日火曜日

    A.お題

    1.ラジオの日
    http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_05_07/112664751/


    情報元:
    国際短波放送情報
    http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/32757308.html

    臨時企画 2013年5月6日月曜日 インタビュー

    臨時企画 2013年5月6日月曜日 インタビュー

    テーマ:
    インタビュー ピャトニツカヤ25番地

    http://japanese.ruvr.ru/2013_05_01/112242215/
    http://static.ruvr.ru/2013/05/02/1327969481/Int 30_04_13.flv

    http://japanese.ruvr.ru/2013_05_06/112612135/
    http://static.ruvr.ru/2013/05/06/1327517520/2013-05-06.flv

    A.トーク
    日本語課かつてのアナウンサーの山之内重美さんを1021スタジオにお迎えしてのインタビューがなされました。
    このインタビューは5月1日水曜日に収録されて初のビデオ・バージョンとしてサイトに後日公開されました。


    お便りスパシーバ 2013年5月4日土曜日

    お便りスパシーバ 2013年5月4日土曜日

    担当:
    山之内重美

    A.トーク
    元アナの山之内重美さんがゲスト出演しました。



    情報元:
    potatoのラジオ受信記録
    http://potato1013.blog22.fc2.com/?mode=m&no=1125

    MMMモスクワミュージックマガジン 2013年5月3日金曜日

    MMMモスクワミュージックマガジン 2013年5月3日金曜日

    A.トーク
    元日本語課アナウンサーで,ロシア文化研究家・女優・歌手の山之内重美さんをゲストに迎えて
    MMMモスクワミュージックマガジン・ヤーマチカを放送しました。


    B.選曲

    1曲目




    情報元:
    国際短波放送情報
    http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/32748256.html
    最新記事
    最新コメント
    カテゴリ
    月別アーカイブ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR